〜暗譜の呪縛〜 チェンバロ レッスン.:*・゜゜201703 **・゜゜
突然ですが、お気に入りなのに、時の流れで自分にはそぐわなくなってしまったもの、あなたならどうしますか?
売る? 捨てる? あげる?
そんなものがありまして…
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
中学生の時に暗唱させられた芭蕉のフレーズを思わず心で呟いてみたりしていたところ、発表会で久々にチュイン島のプリンセスこと女子大生美魔女アイドル茜あいちゃんと会いました。
キュピーン!
もしかしたら、彼女なら似合うかも。
私のひらめきはすぐに現実のものとなり、チュイン島のプリンセスこと女子大生美魔女アイドル(以後略)茜あいちゃんとの合同レッスンと相成ったわけです。
快く受け入れてくれたれいね先生にも感謝です。
れいね先生の他の人へのレッスンの聴講は、デュオ・ローズの相方の薫子さんで経験済みですし、驚くことになるとは、かけらさえも考えていませんでした。
しかし、それは、私の予想の斜め上をいく衝撃的なレッスンでした。
あいちゃんは基本的に楽譜を見ません。
そのことは知っていました。 しかし、楽譜を見て暗譜して楽譜が不要になるのではなく、最初から楽譜を使わないのです。
先生が弾いてそれをあいちゃんは再現して覚えます。
恐るべき音感とリズム感です。
これぞアイドル ˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚
でも、アイドルだけでなく、和の伝統芸能も、最近巷で流行りのダンスの振付も、時にはロックバンドでさえ、口伝や耳コピは当たり前です。
そう考えると、楽譜がヒエラルキーの頂点に立つクラシック音楽の世界が、むしろレアなのかもしれません。
そういえば弾いてるうちにこんなやりとりがありました。
「あいちゃん、思い切って目を閉じてみたら」
同じところで何度かつっかえた後、先生が言いました。
目を閉じてスラスラ弾きだしたあいちゃん∑(゚Д゚)
「あ、出来ましたー。目を閉じた方が余計なことを考えなくていいのかもしれません」
楽譜を使わないあいちゃんも凄いし、それを教える先生も素晴らしいです。
考え過ぎるとドツボにハマるのはその通りなのですが、私は楽譜は欲しいです。
それでも、私は弾けるようになり始めると楽譜を疎かにする傾向があります。 そうすると段々悪い方に向かっていきます。
発表会の5日前くらいにもスランプになりました。
確実に前の日の方が良く、このまま日に日に下手になって弾けなくなるのでは、と恐怖に襲われました。
結局、悩んだ末に初見だと思って、徹底的に楽譜を見て弾いてみることにしました。
どんなに下がっても初見よりはマシに弾けるはずと腹をくくりました。
覚えているところを見たがらない瞳、自由のまま奏でたがる十指。
それらをコントロールして弾くということを何とか初めて出来た気がします。
それにしても、チェンバロを始めて、暗譜の苦しみからは解放されたと思っていましたが、何だか逃れきれていない気がしてきました。
楽譜を見なくなるのは脳からの知ってるよというサインだと思うのですが、大して正確に覚えていないくせに変な指令を出さないでほしいです。
さて、楽譜を見るという行為にはもう一つメリットがあります。
鍵盤を見過ぎることがありません。
鍵盤を見ると正確に弾けるかって言うとそうでもなくて、正しい動きが出来ていることがわかればそれ以上は監視しない方がスムースに動けるように思います。
さっきのあいちゃんと同じようなことですね。
鍵盤の位置が心の目で見えていれば、後は押すだけでいいのです。 見ている必要はありません。
プロのピアニストは手元を凝視したりしませんし、アマチュアでも、飛ぶところを中心に危ないところを確認すれば、後は変に見過ぎない方が力が入りすぎないように思います。
では、視線はどこへ?
そんなときの楽譜です。楽譜を見ていれば考えすぎなくてすみます。
最後に、発表会で弾いた連弾曲の話を。
れいね先生に指摘されたので、楽譜のある場所に「盛り上げない」というコメントを書きました。
自然に盛り上がるところだから、そんなにやらなくていいということなのですが、ここを弾くたびに、何度となく無意識に盛り上げようとしていることに気がつかされました。
ついてしまったクセみたいなものを抜くのは大変なのだなと、それでも修正の機会を得られるレッスンは貴重だなと思いました。
楽譜と共に演奏すると、作曲家との対話、先生との対話があり、1人で弾いていても音楽を通してのコミュニケーションを感じます。
ただ、本当に1人の世界に入りたいときは、暗譜して、もっとジャズィに弾けると楽しそうだなと思ったりもします。
1曲くらい、暗譜しておこうかなあ。
thanks for coming by.
written by coquemomo